ヨーロッパとちがって年金はつらい話題
ヨーロッパとちがって年金はつらい話題
痛感するのは、同じ資本主義国でも、ヨーロッパと日本では、国民のあいだで年金が話題になるなり方がたいへん違うことだ。
日本共産党は「しんぶん赤旗」を出している、世界中に特派員を送っている。ヨーロッパから帰ってきた赤旗特派員に聞くと、たとえばフランス。自分の子どもがいっている幼稚園の先生に聞くと「私はまもなく年金生活に入るんですよ」とにこにこしている。ルノーというフランス最大の自動車工場がありますが、そこに取材にいくと、年配の労働者が「おれは近く年金なんだ」とこれも楽しそうに話すという。つまり、ヨーロッパでは年金生活に入るということは楽しい話題なんだ。
ところが、日本では、年金が楽しい話題になっているだろうか。つらい話題にしかならない。政府の統計をみると、国民年金だけをもらっている方が約九百万人いるが、そのなかで月六万円以上をもらっている方が22%。六万円でも暮らしが成り立たないのですが、それでも五人に一人です。四万円以下の方が46%、つまり二人に一人です。そういう貧しい年金だからつらい話題になるのは当たり前というこになる。
なぜ、日本の年金制度はこんなに貧しくつらいのか。その大もとを考えないと、まともな年金制度にしようじゃないかといっても答えがでない。
年金の貧しさの根源は、税金の使い方にある
ヨーロッパとどこがちがうのかというと、まず、国の税金の使い方がちがう。社会保障というのは、国民の生活を支える一番大事なものだから、資本主義の国でも、ヨーロッパでは、ここに一番多くの税金を使う。国や地方が社会保障に回している税金の額を経済の規模におうじて比べると、日本で使っている税金の額はだいたいドイツ、イギリス、フランスの二分の一から三分の一だ。つまり、ヨーロッパ並みに税金を使うとしたら、払っている税金の中から今の二倍から三倍のお金を社会保障にまわして当たり前ということになる。
なぜ、日本では、社会保障にまわす税金がそんなに少なくなるのかというと、ヨーロッパとちがって税金の一番の使い道となっているのが社会保障ではなく、ゼネコンが喜ぶ公共事業なのだ。公共事業に使っている税金を経済の規模の割合で見ると、日本はフランスの一・五倍、ドイツの三倍、イギリスの四倍にもなる。九〇年代には、日本では、国と地方の税金のうち、公共事業に五十兆円、社会保障に二十兆円と、二対一の割合に決まっていた。このごろは、予算が苦しくなったのと公共事業中心が評判が悪いので、公共事業四十兆円、社会保障二十五兆円と少し変わってきたが、それでも予算を使う一番が公共事業ということは変わらない。こんな国は世界にはほかにない。
だから、国でも地方でも、自民党・公明党流の考え方で政治をやっているところでは、たとえその事業が赤字になっても公共事業がいいとなる。静岡でも静岡空港を建設するといって大騒ぎだ。採算が絶対に成り立たなくて赤字になることは間違いないとわかっていても、こっちが大事だということで、県民、国民の暮らしを第一にしようという考えがない。そこに、同じ資本主義国でもヨーロッパがたどりついたところと、いまの日本の状況の大違いがある。
ここを直さないと、「改革」といっても国民の暮らしを助ける改革は出てこない。私はそのなによりの証拠が、今度の政府の年金「改革」だと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テレビでは「福祉と税金」が話題だ。
私はこの論議を不思議に思う。
そうではなくて「軍事費減らして福祉に回せ!」というような論議にならないのか。
何も「生活保護家庭」だけの問題ではない。
国民年金の平均受給額は47000円だ。私のまわりには3万円台の人も居れば、1万円台の人もいる。
高齢者を孤独に置く環境を政治が作り出している。
民主・自民の二大政党のアメリカべったり、大企業に弱い政治を抜本的に改めさせねばならない。
どうする!?
国政選挙での共産党の躍進である。
これを置いて他にあるまい。